サラリーマン時代結婚もしたが離婚しその後独身であった。離婚後特に寂しいと感じることも無く生きてきた。自分は一人でいることに何の苦痛も感じなかった。
周りからは
「再婚したほうがいいよ」
「年取って一人は寂しいよ」
「孤独死するぞ!」
などとよく言われたが、孤独死上等!どうせ人間死ぬときは一人だし。位に思っていた。ただ自分は孤独死の定義を間違えていた。
■働いている時点で孤独ではない。
この時自分はサラリーマンであった。例え独身一人暮らしでも社会とつながっているのだ。これでは孤独といえない。
そして現在は無職となり、金も無くなった。もちろん独身である。社会とのつながりは無くなり、金というつながりを強制的につくるアイテムも無くなりつつある。
この状態になって初めて、孤独の本質を実感した。
さらにこの夜、突然腹痛に襲われた。今まで経験した事の無いほどの痛みだ。医者に行くにも保険証もない。助けを呼ぶにも誰も知り合いがいない。2時間ほど公園で、のた打ち回った。
気が狂いそうな胃の痛みだった。
激痛の中「死ぬのか!?」と思った。
ただあまりの痛みに「孤独死」「寂しい」なんて事は思わなかった。感じる事は「死ぬほどの痛み」だけだった。
■夜が開け嘘のように痛みが引いた。
なんだったのか分からないが、とにかく痛みは引いた。ただ体力の低下はかなり感じた。そしてここから、自分のおかれている状況を再認識し孤独死の恐怖も実感した。
結局孤独死、孤独、寂しさなどは、体力が衰え精神的にも疲れもうどうすることも出来ない状況だが、「なんとか生きている」というときに感じるのだ。
死の間際は恐らく、それどころじゃないくらい意識が薄れていくのだろう。
■そんな中、看護師からラインがきた。
朝来るなんて珍しい。夜勤明けなのだろうか。
「色々考えたのですが、やっぱりお付き合いできません。ごめんなさい」
であった。
続く。
管理人MEMO
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